戯言・箴言 第二章 その一
やっと個展が終わった
やっと、個展が終わった。
これが今の心境。こんな心境、初めて。
作品を制作するのと、個展を開催するのでは、意味内容も態度も全く違うんですよ。
ぼくの作品を作る基本の姿勢のひとつに、「ぼくは見たい!」っていうのがあるんですね。みたい世界があって、それを誰も作ってくれないから仕方なく、自分で作る、っていう姿勢は、ぼくが作家活動を始めるきっかけでもあったんです。ただこれは、純粋に芸術作品の世界での話なんですがね。
うつわの世界とは、ちょっと違いますね。うつわには、用途が付きまとうでしょ。だから、うつわの世界とは、どうしても、うつわとしての世界に限定されるんですね。
芸術作品というものは、世界の顕在化である、なんてぼくはしょっちゅういってますがね、芸術作品には、芸術としての世界なんてないんですよ。世界そのものを健在化させているわけですからね。それ以上でもそれ以下でもない、純粋に顕在化された世界そのものが、そこにあるんですよ。
芸術において、作品を作るということはね、そこで成就する仕草でもなければ、完結するわけでもないんです。作品を外に放り出して、ぼくも含めたいろいろな感覚や感性に晒されて、初めて、動き出したり、落ち着いたりするものなのですよ(陶芸作品も使うことによって収まりますよね)。
だから、あの作品は、まずは、ぼくの感覚や感性と対峙して、そこに生じた熱量によって、動き出すんです。ぼくと作品との関係を作り上げていく中で、居場所を見つけるんです。作り手としてのぼくと、鑑賞者としてのぼくは、立ち位置の違うんです。作り手は、ぼくでなくてもいいんです。
もちろん、作り手のぼくとしては、たくさんの方々に作品と関係を持つことを望んでいますがね。でも、たくさんの方々が、作品と交わっていただいたから「やっと、個展が終わった。」のではないんですね。どうやら、やっと、ぼくが作品に近づくことができたから得られた、感慨なんでしょうかね。
今までたくさんの個展やグループ展をやってきたし、たくさんのキュレーションもやらせていただきましたよ。試行錯誤しながら。みなさんにはピンといこないかもしれないけれども、そのひとつひとつが、いわゆるライフワークであり、命懸けでやってきたつもり。そして、その折り返し地点で、横濱陶藝倶樂部の活動が生まれたんです。引きずり込まれたといったほうがいいのかな。
全ての作家活動、キュレーターとしての活動を放棄して生まれたのが、今日の横濱陶藝倶樂部。それは、ぼくにとって、陶芸というものづくりを通してのコミュニティの構築であったんです。「みんなで楽しく、上手くなる」という趣味の共同体の確立です。横濱陶藝倶樂部の活動が、どれほど上手く行っているのかは、実はよく分からないんですがね。しかし、三十年続いてきたことは事実なので、それなりの成果はあったんでしょう。
そうした中で、うつわを作り、うつわの個展も何回かやりましたよ。もちろん、腕も上げましたよ。でもね、そこでの営為は、何かが違っていたんです。感覚を研ぎ澄まし、感性を磨いても、所詮それは、うつわの世界での出来事っていう感じがしちゃうんです。ぼくは、このうつわの世界を決して否定しませんよ。「趣味の陶芸」は素晴らしい世界ですよね。そこで生まれる作品も素晴らしく、ぼくたちの生活世界を豊かにしてくれますよね。「趣味の陶芸」は生活を豊かにし、楽しませてくれますよね。本当に素晴らしい世界だと思います。さらにそこには、コミュニティが形成されます。
ただ、それと芸術作品とは、文脈が違うんですね。どっちが上とか下とかっていうことではないですよ。
ただ、世界の顕在化とは、「あるということは、どのようなことであるか」という形而上学の大命題に迫ることなんです。ちょっと難しいけれど。
ぼくは長い間、芸術作品を作ることから遠のいていました。そうした中で、一昨年、COSMOS-LUGT TILLANDSIA’S DREAM という個展を開きました。心臓の穴を埋めた後です。「六十四株のティランジアと彼らのためのうつわ」という作品と、「文字による十二枚のカード」がそれです。そこではティランジアの住まいとしてのうつわとティランジア、及び言葉が、主役でした。ティランジアの花の美しさに惑わされつつ、それなりの何か得るものがあったようにも思われますが、「これだ!」というものには辿り着くことができなかったんです。懸命にうつわを作ったことが、そもそも違っていたのかもしれないと思いました。
この時もそうでしたが、ぼくは基本的に作品をぼくの方から迫って作ることはしません。言葉が静かに訪れるのを待っているだけです。その言葉は、ぼくの方で意識的に導き出せるものではありません。ふと脳みその隙間に、囁くのです。言葉が訪れるのです。ひらめきに近いかもしれませんが。
今回の作品もそうです。
まず、「はこを作ってみたら」という言葉がどこからともなく、訪れるのです。その囁きに従って、箱って何なんだろうと調べてみたり、作ったりします。初めは、個展で出品した作品と違って、鋭利で形も整った、陶芸家としてのぼくらしい作品を作っていました。でも、どうもしっくりいかないんです。これ違うんだよなって感じ。そうしたら「こだわりなんていらないよ」という囁き。そうかもねと思って、作ってみる。練りも荒っぽく、たたらも荒っぽく。組み立ても荒っぽく。普段の僕の真逆。
そうしたら、作っている過程で、何か解き放たれた感に包まれたんです。夢中になって、我を忘れて、それこそ、無我夢中。
その訪れる囁きは、図に乗ってかどうか分からないけれども、「籾、モミ」とこそこそ語りかけてくる、と感じたと思ったら、今度は「筵、ムシロ」という囁き。さらに「和紙、ワシ」「赤い紐、アカイヒモ」という言葉も聞こえる。この訪れた言葉に従って作ってみる。そしてあの作品が生まれる。
「ああ、これだな。」と納得。生まれて七十五年。作品を作り出してから、六十年。ようやく、旅の終着点が見えてきたね、と思いきや、それは、ようやく出発点に辿り着いたに過ぎなかったことをそこでようやく知りました。先は永い!
これはその囁き、雨音の中に訪れた言葉
土によって
言葉によって
人々の営みによって
ぼくは 導かれ 生み出される
世界によって ぼくはぼくとなり
世界に 昇華していく
楽しくて 夢の中の仕草
いなくなったぼくは 解き放たれていく
附記 今回の作品は「はこ」であり、箱ではないつもりで作りました。しかし、多くの方が、オブジェクト(主体)として捉えず、サブジェクト(客体)として捉えたことに驚きと喜びを感じました。
「はこ」がある。さてこの箱に何を入れようかという想像力の逆展開は、愉快です。
作った当の本人は、入れ物という発想はなく、籾を入れたのも後付けで、本当のところはよく分かっていません。ただ、土にしろ、籾にしろ、白い和紙と赤い紐の組み合わせといい、日本(文化)へのオマージュという仕掛けを心のどこかで持っていたのかもしれません。
二〇二六年六月四日