ぼくが陶芸の素晴らしさを自覚するようになったのは、そんなに昔のことではありません。記憶が定かではないので、はっきりしたことは言えませんが、横濱陶藝倶樂部を設立した頃はまだそんな自覚は持っていませんでした。それまで行なっていた様々な美術的アクションを廃棄し、自分の活動を横濱陶藝倶樂部に絞ろうとした頃からだと思います。鶴見区市場富士見町に工房を解説した頃です。
では、陶芸(作品)の素晴らしさとはどこにあるのでしょう。それは一言で言って「自由」にあると思っています。作品を生み出すまでには様々な制約がありますが、作品そのものは「自由」なのです。正解がありません。「自由」とは「なんでもあり」というわけではありません。だからもちろん失敗作品もあります。作品の価値基準は、それぞれの作り手、使い手にあります。形について言えば、カチッとした整った形が肌に合っている方もいるでしょうし、緩やかにずれた形の方がしっくりくる方もいると思います。器は重くなくてはならないという価値を持っている方もいますし、その逆に軽いことが一番と思われている方もいます。大げさに言えば、その方の世界に接する感覚に従って判断すればいいのだと思います。
一方、陶芸そのものは決して自由ではありません。一番の制約は「土」そのものです。土とは地球とそこに住む生命体と水が三位一体化した物体です。一筋縄ではいきません。それぞれの土が内胞している特性を無視して作陶はできません。陶芸作品は土と作り手とのコラボレーションです。そして作り手は土に頼りながら、土にいろいろ教えてもらいながら形にしていくのです。
体験で工房に来られた方のほとんどが土に触れる事自体に喜びを感じているようです。人間は先天的に土との親和性を感じ取る能力があるようです。みなさん、楽しい楽しいとおっしゃられてお帰りになります。そして、本格的に陶芸を始めると、難しい事だらけ。でも、そこがいいのです。まず、思うようにいかなくて失敗を繰り返します。そこから自分の正解が見えてきます。ようやくたどり着くと、また別の失敗に出会います。その繰り返し。決して安易ではありません。ぼくがよく言うのは「楽しい修行」です。何はともあれ、チャレンジする事から始まります。