ひとりごと

ひとりごと

 焼きものを作るということは、大げさに言ってしまえば、人間と大地すなわち技術と素材が一体となって、和解する作業と言える。そこには生活感覚は宿るが、必ずしも思想が成立するとは限らない。

 陶芸職人と陶芸家の区分けという極めて近代的な図式は、陶芸に携わる者のうち、陶芸家という思想を求めて芸術に近付こうと勘違いした者が陥った悲しい知の地平と言えなくもない。なぜならば、本来、思想を裏付け保証するのは、自然や生活そのものだからだ。だから、陶芸家よりも陶芸職人の方が、言葉にならないところで思想を体現していると言える。

 その点、趣味の焼きもの作りは、芸術が希求する自由という磁場に陶芸職人よりも陶芸家よりも近いといって良い。焼きもの作りというおままごとを楽しんでいると言って良い。何はともあれ、没頭するとは自分をどこかに置き去りにすることによって、自由の境地にたどり着く仕草だ。そこでは思想への希求もなければ、生活への保証もない。

 作りたいうつわと作ることができるうつわの乖離。そのジレンマがむしろポジティブな要素となってしまう。それは技術の問題でもあり感性への問いかけでもある。「無我夢中」とか「我を忘れて」と言った境地は、どこから招来するのだろう。そこもまた不思議である。

 最近つくづく思う。焼きものに限ったことではないが、「いいこと」は「いいこと」として嬉しがる、「嫌なこと」は「嫌なこと」として楽しむ、「辛いこと」は「辛いこと」として面白がる、この線で当面行こうと思っている。