ひとりごと

触れると触れ合う

5月28日に東京大学大学院教授・林香里さんの論考を引用し、触れると触るについてコメントをしたが、今度は触れ合うと触れる。

触れ合うとは、主体と主体がそれぞれに対して触れるという状態を指す。人と人が触れ合うことなら素直に理解できる。では、人と家畜やペットとではどうだろう。ここでも、触れ合うが成立することを想像することは容易であり、野生の動物同士でも想像できるし、昆虫などでも同じだ。では、人と植物ではどうだろう。例えば、一本の木があり、その木にぼくが触れた時、木もぼくに触れていると言えるだろうか?木は喋りもしなければ鳴きもしない。だから分からない。そうだろうか?ぼくが木に触れた時、ぬくもりを感じたとする。それは木が持つエネルギーがぼくに伝わったからだ。だとすると、その時その逆も発生しているはずだ。木は木で、ぼくが持つエネルギーを受けているはずだ。ということは触れるとは触れ合うことに他ならない。ぼくたちは常にいろいろな存在と触れ合って生きているということだ。

土で何かを造形するということは、土と触れ合って造形するということだ。いわば、作り手と土のコラボレーションだ。

一般的にいって、その機能や特性によって、厚さや重さが定まるとしよう(このことはそんなに単純な話ではないのだが)。いろいろなケースがあるのだが、例えば、徳利は、薄い(軽い)方がいいとする(これも熱燗で冷めない方が良ければ厚い方がいいという捉え方もある)。徳利は中が見えないので、持った感じで入っているお酒の量が分かった方がいい。となれば、薄い方がいい。昔聞いたことがある、京都で。徳利を振って中の量を確かめるのは、関東のダサい中居。京都では持っただけでその量が分からなくてはならないと。至極差別的な物言いかもしれないが、それを成り立たせるのは、そのお店の徳利の重さを体得しているからだろうし、重い徳利ではそうはいかない。話がちょっとずれた。

徳利を作る時は、だから薄く作る。徳利を作る時は、小手を使うが、もちろん内側は見えないので、内側を形作る右手及び右手によって掴まれた小手の先端と外側を形つくる左手の感覚で厚さを作る。これは感覚の世界である。と同時に土が持つ形作る力の限界を見極めて形を作る。ここでは厚さを作る行為と形を作る行為が、ひとつは手の感覚、もうひとつは土の持つ力によって同時に成し遂げられる。右手の延長である小手先と左手と土がそれぞれ触れ合うことによって、ようやく成就する。これは結構面白い作業だ。一方通行の触れるという感覚ではまずもって無理なような気がする。左の指は土と土を通しての小手先と、右の指は小手先を通して土と左の指と、そして土は右の小手先と左の指に挟まれて、それぞれ触れ合っている。これは作陶のひとつの醍醐味と言えるだろう。

皆さんも徳利、挑戦してみては。

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