ひとりごと

触れることについて ザワークラウト

ザワークラウトは小学生でも作ることができる。作り方は簡単だ。

キャベツを荒い千切りにする→キャベツの2%くらいの塩で揉む→煮沸した瓶にぎゅうぎゅうになるまで入れる→蓋を閉める→1週間くらい放っておく→口にする

半年くらいは軽く保つのでよく作る。

大事なのは瓶の消毒だ。これを怠ると腐る。面白いのは消毒だ。保存する瓶を消毒しないと、本当に腐る。空中の乳酸菌が同じく空中の菌に負けてしまうのだ。本当に腐る。しかし、よく分かっていないのだが、ちゃんと煮沸すると腐らせる菌はくっつかないで乳酸菌だけがくっつく。そして乳酸菌は増える。キャベツは酸っぱくなる。発酵食品なんて、腐っているわけだが、ザワークラウトの場合は乳酸菌によって腐ってしまったキャベツを楽しむわけだ。そして一歩間違えたら腐敗する。

今、空中にはたくさんのCOVID-19が徘徊しているようだが、実はもともと腐るほどの菌やウイルスがホコリなんかとともに空中散歩しているのだ。

陶芸などをやっていると、COVID-19のおかげで「触れる」ということの意味とか意義を考えてしまう。土トハ何モノナノカ、土ニ触レタ時ノアノ充実感ハドコカラヤッテ来ルノカとか。

人に触れてはならない、何かに触れたら消毒を。冷静に考えてみると、ちょっと、馬鹿げているようにも思われる。なぜか。

私たちは、生まれてからずっと空気と命名されているソレに触れている。というか晒されている。母の羊水から脱出したのちは、ソレに包まれながら、晒されながら、触れながら、体内に取り込みながら生きている。

とは言うもののソレを空気と命名したのは江戸時代後期での話である。

国語大辞典によれば、

  ({オランダ}Lugt の訳語)

  (1)地球の大気の下層部分を構成する無色、透明の気体。酸素と窒素を約一対四の割合で主成分とする混合気体で、少量のアルゴン、ヘリウムなどの不活性ガスや炭酸ガスなどを含む。また、  時期、場所により、水蒸気、亜硫酸ガス、一酸化炭素などの気体や、塵埃(じんあい)、塩化物、微生物、花粉、宇宙塵、火山放出物などの固形微粒子を含むこともある。

であり、初出は

  *砲術語選〔1849〕「Lugt リュグト 空気」

  語誌には

  (1)蘭学者が考案した訳語で、「英和対訳袖珍辞書」は、蘭学系の訳語を継承し、英語air に「空気」をあてている。その後、「和英語林集成」や明治初期の独和辞書を通じて一般化した。

  (2)中国では宋の蘇軾の文章に「空気」の用例があるが、「元気、元始之気」という道教の意味であった。

ということは、私たちの文化はおよそ170年前にはソレを少なくとも言葉では捉えていなかったということだ。ソレは目に見えないので、私たちが認識するのは匂いや香りだったり、湿気や温度あるいは風と言ったソレの状態やソレが含んでいるものの特性を通してだろう。ということはソレそのものに触れていることには気がつかず、ソレが含み持ったものを通してソレを感じるしか仕方がないのかもしれない。

私は未だにソレ=空気と命名された何ものかを言葉的にも感覚的にも実感的にも把握できていない。しかし、空気に触れていることは確かみたいだし、そこから酸素を取り入れ二酸化炭素を排出していることも確かなようだ。

ソーシャル・ディスタンシングだとかソーシャル・ディスタンスとか言葉も乱れているけれども、本当のところ、COVID-19対策はどうすればいいのかは分かっていない。まあ、知識不足だから仕方がないのだが、工房は消毒しているし、手の消毒、手洗い、マスクの着用、無駄なおしゃべりをしない、換気を怠らない、体温を測る、チェックシートを記入する、ここまでですね。どういう人がどうすることによって感染するのかは全くもって分かっていません。

というわけで、これからちょくちょく「触れる」にまつわる事柄を「つれづれなるままに、日暮らし、硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」の心境で、あることないことを綴ってみようと思う。