ひとりごと

焼きものづくりを通して

 『卓』は、横濱陶藝倶樂部会員が、それぞれの作品に基づいたテーブルコーディネートを披露する展覧会といえます。

 言葉を変えていえば「自分で制作した作品を軸に生活感覚を礎にした具体的場面としての卓という情景を顕在化する試み」でしょう。

 それぞれの情景が醸し出すそれぞれの物語性と気配。そこでは、うつわがあって、うつわに盛られる食材があって、人がいて、その三位が一体となって物語性が生まれたり、気配が生じたりします。

 これらのうつわには何が盛られるのでしょう、どのような方々と卓を囲むのでしょう、そこではどのような言葉が交わされるのでしょう。そういった卓を前にして、私たちはどのように想像力を刺激されるのでしょう。

 その想定された場面はそれぞれの作り手の生活者としての生き方を反映していると思います。人それぞれの生き方。それぞれの卓が醸し出すそれぞれの情景。そこに漂う物語性。

  きつい言い方かもしれませんが、今回の展示は、情景を内包してゆっくりとこちらの想像力を刺激してくれるいくつもの作品群もあり、卓として成り立ってはいるものの(ぼくの力不足ということも手伝って)情景が見抜けない作品群もありましたが、率直にいって、大方の作品群は卓として成立していませんでした。

 うつわとはひとつの結界といえます。卓(机)もひとつの結界です。そして、展覧会もしかりです。ぼくにとって、『卓』という展覧会そのものがひとつの作品=結界です。ですから、レイアウトや照明もひとつの作品なのです。今回は二十五の情景を目にしたかったのです。

 横濱陶藝倶樂部通信第五号にも明確に「テーブルを食卓とは関係なく、展示台として使用することは禁止」としています。展示台として使用すれば、そこには卓が持つ情景など生まれないし、個々の作品が恥も外聞もなくさらけ出されるだけです。そこには作ることの諸要素が顕在化されてしまいます。『卓』は作ること(作り方)を晒す展覧会ではありません。作られたうつわによって構成され構築された作品群の展覧会です。

 陶芸職人は技術で勝負します。それしかないのですから。工芸家は技術と感性とオリジナリティで勝負します。

 工芸という文脈は、職人が生み出すうつわの世界という、生活に根ざした文脈がある一方で、工芸家の作品世界というモダニズムの中で培われたカテゴリーも持ち合わせており、そこでは縁取りされた個が前提となっています。そこで職人と工芸家というズレが生じます。

 しかし、私たちは、そういった価値観から自由に焼きものづくりをしているのではないでしょうか。

 テクニック上の上手い下手、感性の鋭さ鈍さ。それは趣や味わいに収斂されることもあり、作品が持つ価値の文脈が職人(売れる売れない)や工芸家(評価されるか否か)とは根本的に違うのです。

 つくることが楽しかったり面白かったり、満たされたりするから作っているのであり、名誉や地位を求めて作っているわけではないのです。そうした自由な立ち位置において生み出されたうつわを一歩踏み出して、使う場面を想定してあらわにするのがこの『卓』という展覧会です。

 上手い下手は二の次です。日々どのような時を過ごしたいのか、そのためには自らが生み出したうつわがどのように助けてくれるのか。

 ぼくは現代に生きる人間として、軸になることが三つあると思っています。一つは自由であり、もう一つは平和、そして健康。焼きものづくりを保証してくれるのは、平和と健康です。そして焼きものづくりを通して得られるのが自由の感覚だと思っています。その一つの仕草がこの『卓』だと捉えています。

 多様化といわれる現代、これからの横濱陶藝倶樂部と次回の『卓』の充実した展開を願ってやみません。